御開山徹通義介禅師さま(1219〜1309)は延慶二年(1309)陰暦九月十四日(ただいまは陽暦におきかえて十月十四日としています。)九十一歳(数え年)でご遷化になりました。 御開山さまは、越前(福井県)稲津のご出身。俗姓は藤原氏。はじめ達磨宗の僧となり、やがて二十三歳、道元禅師(曹洞宗高祖・承陽大師)(1200〜1253)のお弟子となり、京都から越前の永平寺に移り、修行して、道元禅師の絶大なる信頼を得ました。師の亡きあと懐弉禅師の命により、中国へわたり、かの地の諸寺を歴訪して「五山十刹図」(旧国定・重文指定)をまとめ、帰国して、永平寺の伽藍をととのえ、修行生活のきまりを一新し永平中興といわれ、兄弟子の永平寺第二祖懐弉禅師の法を嗣ぎ、永平寺第三祖となりました。 永平寺を出て徹通義介禅師さまは、加賀の地に移り、守護職冨樫氏の帰依を受けて、野々市に大乘寺を開きました。正応二年、(1289)のこととされます。その門からのちの曹洞宗太祖、常済大師、螢山禅師らを輩出しました。大乘寺は永平寺、總持寺の両本山とも特別の由緒をもつ寺院です。螢山禅師の法流は総持寺を中心にわが国最大の寺院数を擁する曹洞宗として展開します。






そしてまた、大乘寺は加賀藩老本多家の庇護のもと、当地に移転してより、江戸期、元禄年間、月舟宗胡、卍山道白の両禅師により大乘寺を復興、二人は曹洞宗の中興とされ、天下にその名を知らしめ、「規矩大乘」の名をほしいままにしたのです。現在も、大乘寺専門僧堂を運営しています。 東香山大乘寺は、山号を別に古くは椙樹林、のちには金獅峯ともよんでまいりました。大乘寺の伽藍は、わが国禅宗建築なかんずく曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍の配置を示しており、仏殿は国の重文指定、その他の建物は、県の指定有形文化財となっています。 いま、大乘寺には多くの人びとがこころのささえを求めて参禅におとずれ、あるいは境内の寂びた佇まいに、みずからの本来のありかたをさぐろうとする人びとが、年ごとに増えています。とまれ、御開山さまは、その長い生涯を通じて、道元禅師の厳格な宗風を堅持し、身を律し、質素な生活に徹し、仏祖正伝の法を挙揚されました。 御開山さまの御画像(県指定文化財)を仰ぐとき、粗末なころもに痩身をつつみ、眼光は鋭く、しかも枯淡、柔和で静寂な風格を拝します。